eiken

Thursday Aug 07, 2008

死神の精度9-4

 「仕事以外で、他に楽しみは?休みのときだとか」

 「休みのとき?」彼女はそんな愚問は聞いたことがない、というような顔で、「何もしてないです。家事だけ。後は、コインを投げたりもしますよ」

 彼女は酔い始めているらしい。呂律が可笑しくなり、瞼も重そうだ。

 「コインを投げる?」

 「表が出たら幸せになれる、そう思って、十円玉を投げてみるんですよ。手軽な占いです」と彼女は自嘲を通り越して、悟りを開いているかのようだった。「でも、だいたい裏ばっかり出るんですよ。で、今度は、裏が出たら幸せになる、って決めて、投げるんですけど」

 「そうすると、表が出るわけだ」

 「ええ」

 「考えすぎじゃないか」

 「五十パーセントの確率にも見放されるとなると、もう、生きる気力もなくなっちゃいますよね」彼女はぐいぐいとビールを飲み干した。「わたしなんて、いてもいなくても一緒なんだから、死んだって変わらないですよ」

 「君が死んだら、悲しむ人がたくさんいる」わたしは、おざなりに言ってみる。

 「一人はいます」身体を不安定に揺らしていた。「いつも、私を指名して、苦情を言ってくるおやじです」そして、歯を見せて、高い声で笑う。「わたし、本当に死にたいですよ。いいこと無ですから。」

 わたしたちが担当する相手は、促したわけでもないのに、「死の話」を口にすることが多い。それは、死へのおびえであったり、憧憬であったり、薀蓄であったりするのだが、とにかく鬱蒼とした藪の中から、さらなる暗黒を覗き込むような顔で、ぽつぽつと話をしてくる。

 これは、私たちの正体を、人々が無意識に察するかららしい。研修の時にそう教わった。「死神は、人間に死の予感を与える」と。

 実際、昔から、私たちの正体にうっすらと勘付く人間はいた。有る者は、「寒気が走る」と不安がり、有る者は、「近いうちに死ぬようなきがする」と明確な死の予感を書き残す。私たちの存在を敏感に察知し、占いと称して、相手に伝えるものも時々いる。

 「死にたい、なんて軽軽しく言わないほうがいい」わたしは心にもないことを口にしてみる。

 「毎日毎日、クレームの電話ばかり受けて、しかも、私生活にも明るいことが無かったら、もう生きてる理由なんてないですよ。私は、自分の人生について、クレームをつけたいですよ」気が利いているとも思えない台詞を彼女は吐いた。

 生きてる理由なんてもとからないんだ、といいたくなるのを堪える。

 「寿命っていうか、運命っていうか、そういうのってあるんですかねえ」彼女はどうやら、アルコールは強くない体質らしい。一重瞼の暗い顔が、さらにどんよりと沈んで見えてきた。情報部からのデータによれば、彼女は、男性とこのように向かい合って食事をした経験が殆ど無いはずだ。だから、その緊張と高揚で、酒を飲むペースが早いのかもしれない。

 隣のテーブルでは、中の良さそうな男女が向かい合って食事をしている。女が、「お腹いっぱいでもうたべられない」と腹をなでながら、困惑と媚の混じった表情で言うと、向かい側の男が、「いいよ、僕が食べてあげるよ」と張り切った声をだした。女が「優しいね.ありがとう」とうれしそうに礼を口にしたが、どうして食事を分け与えた側が喜んでいるのか、私には理解できなかった。

 「寿命は有るさ」意識を藤木一恵に戻し、私は答える。「ただ、誰もが寿命で死ぬとは限らないんだろうが」

 彼女はけたけたと笑った。「それ、変ですよ。死んだときがその人の寿命でしょ。寿命の前に死ぬ、なんていい方、変じゃないですか」

 「みんなが寿命で死ぬのを待っていたら、大変だ」私は、本来であればそこまで話すべきではなかったかもしれないが、彼女がすでに酩酊し始めているのが分かっていたので、つづけた.「バランスが崩れるんだ」

 「バランスって何のです?」

 「人口とか、環境とか、世界のバランスだ」と言いながらその実、私も詳細については知らない。

 「でも、人は寿命で死ぬんでしょ」

 「寿命の前に死ぬ場合もある。突発的な事故とか、思いもよらない事件とか、そういうのは寿命ではないんだ。火事とか地震とか溺死とか。そういうのは、寿命とか別に、後からきまる」

 「誰が決めるんですか?」彼女の瞼が閉じ始めた。

 「死神」と正直に答えてしまおうかと思ったけど、その呼び名は蔑称だと思うので、「神様だろうな」と言い換えた。死神にも「神」という言葉はついているのだから、あながち外れでもないはずだ。

 「うそ」彼女ははしゃぐ。「神様がいるなら、どうして私を助けてくれないんですか」幾分大きくなった声は澄んでいて、私はおや、と思った。一瞬、とても美しい声に聞こえた。「でも、神様はどういう基準で、死ぬ人を決めるんですか?」

 「それはオレもわからない」正直に答えた。実際のところ、どういう基準をもって、どういう方針に沿って、対象の人間を選び出しているのかは、私にも分からない。部署が違う。私はその部署の指示に基づいて、仕事をするにすぎない。

 「でも、そんなふうに勝手に決められて、不慮の事故とかに遭わされるのも堪らないですよね」

 「だろうね」

 「よく調べてから、決めてくれないと困りますよね」彼女は歌うような声を出すと、ばたんと音を立てて、テーブルの上に突っ伏した。

 まさにその通りだ。と私は心の中で強くうなずいていた。だからこそ私は、あなたに会いに来たんだ、と。

 調査を行い、「死」を実行するのに適しているかどうかを判断し、報告をする。それが私の仕事だ。

 調査といってもたいそうなことではない。一週間前に相手に接触し、二、三度話を聞き、「可」もしくは「見送り」と書くだけでいい。しかも、その判断基準は個人の裁量に任せられているので、この調査制度は儀式的なものに近く、よほどのことがない限りは「可」の報告をすることになっている。

 ああ、死んじゃいたい。頬をテーブルにくっつけた彼女が寝言のように呟く。「明日にでも死んじゃいたい」

 私たちが調査している間は、相手の人間が死ぬことはない。自殺や病死は死神の管轄外であるため、それがいつ起きるのか私たちは、「残念ながらまだ死ねないんだ」と彼女に対して、少し申し訳ない気持ちにもなる。

 

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