eiken
小説連載「死神の精度」9-1
ずいぶん前に床前の主人が、髪の毛に興味なんてないよ、と私は言ったことがある。「鋏で客の髪を切るだろ。朝、店をあけてから、夜に閉めるまで休みなく、ちょきちょきやってるわけだ。そりゃ、お客さんの頭がさっぱりしていくのは気持ちがいいけどよ。でも、髪の毛がすきなわけじゃない。」
彼は五日後には通り魔に腹を刺されて死んでしまったのだが、もちろんそのときに死を予期していたはずもなく、声は快活で生き生きとしていた。
「それならどうして散髪屋をやってるんだ?」訊き返すと彼は、苦笑まじりにこう答えた「仕事だからだ」
まさに私の思いと、大袈裟に言えば私の哲学と、一致する。
私は、人間の死についてさほど興味がない。若い大統領が時速十一マイルのパレード用専用車の上で狙撃されようと、どこかの少年がルーペンスの絵の前で愛犬とともに凍死しようと、関心はない。
そういえば、くだんの床屋の主人は、「死ぬが怖い」と洩らしたこともあった。私はそれに対して、「生まれてくる前のことを覚えてるのか?」と質問をした。「生まれてくる前、怖かったか?痛かったか?」
「いや」
「死ぬというのはそういうことだろ。生まれる前の状態に戻るわけだけだ。怖くないし、痛くもない」
人の死には意味がなく、価値もない。つまり逆に考えれば、誰の死も等価値だということになる。だから私には、どの人間がいつ死のうが関係がなかった。けれど、それにもかかわらず私は今日も、人の死を見定めるためにわざわざ出向いてい来る。
なぜか?仕事だから。床屋の主人の言うとおりだ。
私はビルの前にいた。駅前から百メートルほど離れた場所、地上二十階建ての電機メーカーのオフィスビルだ。壁一面が窓ガラスのようでもあり、向かいの歩道橋やビルの非常階段が、反射して映っている。正面入り口の脇で、畳んだ傘を持て余しながら、立っていた。
頭上の曇は黒黒とし、隆々とした筋肉を思わせる膨らみがある。雨が垂れていた。激しい勢いではないが、その分、永遠に降り止むことがないような跳ねる粘り強さを感じさせる。
私が仕事をする時はいつだって、天候に恵まれない。「死を扱う仕事」であるだけに悪天がつき物なのかと納得していたが、聞けば他の同僚はそういうこともないらしく、これはただの偶然なのだと最近になり、わかった。晴天を見たことがない、というと人間はもとより同僚からも信じがたい目を向けられるが、事実なのだから仕方がない。
時計を見る。十八時を三十分回った。情報部から渡されたスケジュール表によれば、そろそろ姿を現すごろだ、と思っていると、まさにちょうど彼女が自動ドアから出てきたので跡をつける。
透明なビニール傘を差しながら歩く彼女の姿は、冴えなかった。背はそれなりに高く、余分な脂肪を抱えているわけではなさそうだったが、誉められる点といえばそのくらいだ。猫背で、蟹股で、下を向いて歩いているので、二十二歳という年齢よりも老いて見えた。真っ黒い髪を後で一つに結んでいるのは暗い印象があるし、何よりも、疲労感なのか、悲壮感なのか、くたびれた影のようなものが額から首にかけてかかっている。鈍い鉛色に包まれているように見えるのは、地面を湿らす雨のせいだけではないだろう。
化粧をすればよいというわけでもないが、自分を飾る意志がそもそもなさそうで、着いているスーツもブランド品からはほど遠い。
足を大股に進め、彼女の背中を追った。二十メートルほど先に、地下鉄の入り口があるはずで、そこで接触をすればいい。私はそう、指示されている。
さっさと終わらせたいものだ、毎度の事ながらおもう。やるべきことはやるが、余計なことはやらない。仕事だからだ。
inshun 发布在 娱乐记事 | 发布时间: 08:45AM Jul 21, 2008 | 评论[0]