eiken
死神の精度9-3
「本当に、悪ふざけじゃないんですか?」向かい合って座った彼女は、まだ半信半疑だった。声が聞き取りにくいので、私は耳を近づける。ロシア料理店のテーブルだった。気を失った彼女をどうにか起こし、まだ意識が朦朧としている隙をついて、なかば強引に店につれてきたのだ。
「悪ふざけではない。お詫びをしたいだけで」
「そうですか」彼女は表情の強張りをなくし、かわりにじんわりと頬を赤らめた。
「さっきは突然、倒れたから、驚いた」まさか、私が素手で触ったからだよ、と説明するわけにも行かない。私たちが素手で触ると、人間の寿命は一年縮んでしまうのだが、だいたいが彼女は、かなりの確率で、近々なくなることになっているので、問題はないはずだ。
「私も初めてです。身体だけは丈夫なはずなのに」
もっとはっきりと喋ればいいのに、と本心から感じた。暗い口調は、喋っている本人はもとより、聞いている相手もげんなりとさせる。
彼女は小さな声で、「あの、名前は?」と訊ねてきた。
「千葉というんだ」仕事で送り込まれてくる私たちには、決まった名前がつけられている。どれも町や市の名前で、姿や年齢は毎回かわるのに、それだけは変化しない。管理上の記号のようなものなのだろう。
「君の名前は?」
「藤木一恵」一つの恵み、と彼女は漢字を説明してくれた。「親は、何か一つでも才能に恵まれますように、って名づけたらしいんです。可笑しいですよね」
「可笑しい?」
「まさか一つも取り柄がない女に育つとは、おもってもいなかったんでしょう」それは同情を誘おうというよりは、ただ単に、自分の境遇を恨み、ふて腐れているようだった。卵料理を口に含み、飲み込んだ後で、「私、醜いんです」とポツリといった。
「みにくい?」私は本当に、聞き間違えた。目を細め、顔を遠ざけて、「いや、見やすい」と答えた。「醜くはない」
彼女がそこで噴出す。はじめて、彼女の顔にライトが届いたかのように、一瞬ではあるが明るくなった。
「そういう意味じゃないです。ぱっとしないってことです」
「ああ」すぐに否定できなかった。ぱっとしない。まさにその通りだ。
彼女が年齢を尋ねいてきたので、「二十二歳」と答える。同じ年に設定されているわけだ。
「その割には、落ち着いて見えますね」
「よく言われるんだ」これは事実だった。私は同僚からも、「落ち着いている」だとか、「冷たそう」だとか、そのように言われることが多い。無駄にはしゃぐのが好きではなく、喜怒哀楽を表現するのが得意ではないだけなのだが、側目からは特殊に見えるらしい。
彼女は、自分の勤め先のことを話しはじめた。声は相変わらず聞き取りづらかったが、舌は滑らかになり始めたようだ。打ち解けてきたというよりは、ハイペースで飲むビールのせいだろう。
大手電機メーカーの本社に勤めていると、言う。
「一流だ。すごいな」私は精一杯、うらやましそうに言った。
「でも、苦情処理ですよ」彼女は眉間にしわを作り、さらに可愛げのない顔になる。
「私は、苦情処理の部署なんです。誰もやりたがらない仕事で」
「苦情処理?」
「お客さんからの電話を受けるんです。はじめは、別の取り合わせ窓口に繋がるんですけど、悪質な人のは私のところに電話が回されるんです。面倒くさい苦情主の専門というわけです」
「気が滅入りそうだ」
「ええ」彼女はそこで肩を落とし、暗い顔でうなずく。「本当に滅入ります。文句を言ったり、脅かしてきたり。そういう人との対応ばかり。気が狂いそう」
それはちょうどよかった、と私は内心で手を叩きそうになる。「つらい毎日?」とさり気なく水を向ける。
「いいえ」彼女はそこで首を振った。「つらすぎる毎日」
「そんなに?」
「私、こう見えても、電話の時はとても明るい声を出して見せるんです。相手に悪いと思って。でも、どんどん責められると、もう気持ちが沈んで」
彼女の声は、濁った沼の表面で泡が破裂する音のような、じめじめとした小声なので、電話の時は明るい声を出す、と言われてもすぐには想像ができなかった。
「最近は、特に、変なお客さんがいて」
「ほお」
「わざわざ、私を指名して、文句を言ってくるんですよ」
「指名?」
「苦情処理の部署には女性が五人いて、電話はその時々でランダムに繋がるんですけど、その人は私の名前を出して、電話に出させるんです」
「ひどいな」ストーカー体質の苦情主というのは、たちが悪そうだ。
「ひどすぎです」彼女はうなだれて、生気のない目で私を眺め、力なく微笑むと、「死にたいくらいですよ」といった。
声を上げそうになる。君の願いはかなう。
つづく……
inshun Posted at 每日记事 | Publish time: 10:03PM Jul 28, 2008 | Comments[0]